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September 20, 2007

chaos

If you watch from a bridge as a leaf floats down a stream, you may see it trapped by a small whirlpool, circulate a few times, and escape, only to be trapped again further down the stream. Trying to guess what will happen to a leaf as it comes into view from under the bridge is an idle pursuit in more senses than one: the tiniest shift in the leaf's position can completely change its future course. Small changes lead to bigger changes later. This behaviour is the signature of chaos.

葉っぱが小川を流れる様を橋の上から見るとき、その葉っぱは小さな渦に捕まりグルグル回転し、それから抜けてもさらに下流でまた渦に巻き込まれていたりする。たとえば橋の下から葉が視界に入ってくるとき、葉に何が起きているのか想像する事は多くの意味で無駄な追究なのだ。葉のポジションの本当にささいな変化がその未来の方向を完全に変えてしまうからだ。ささいな変化がその後、大きな変化を導く。その振る舞いこそが混沌の特徴なのだ。(またもや、くだらない受験英語問題集より)

これがカオス理論というやつなんでしょうか?入り口はまだ分かりやすいのですが、突っ込むと数式だらけで何の事かさっぱり分かりません。直観としてはこのカオス理論が理解できたからといって未来が理解できる事は無さそうな。。。学自体もその行く先は混沌かな。

つーか所詮人類に残されたのは終末論だけか!つーか単純にわたしが「嘆きの壁」?今を狂わせてしまった、その過去のささいな事が悔やんでも悔やみきれないのよ!だいたい、でも実は何がその悔やむべき事なのかもあまり良く分かってないし、だって大袈裟に悪い事は何もやってないもの。ささいな事は数知れず...ですけど。

なんだか結局わたし事でしょ。わたし自身がカオス真っ只中なんですよ。普通、この歳になればもうちょい先が見えてくるはずなんでしょうが、わたしには全然。。。むしろ若かったときの方がもうちょい見えていた?きっと何か違う世界に迷い込んだ?。。。別な言い方だとカーマ・ポリスに捕まった?。。。カルマの方がカオスより強いしね。。。(強い強くねで判断するのおもしろくね)。。。

ん~今たまたまカルマって言葉を出したんだけでど、これって結構おもしろい論点かも。だってカルマって「業」ですからカオスとは対極ですものね。西洋対東洋でもあるし論理と非論理でもある。

September 5, 2007

違和感

最近、40,50代ターゲットの女性誌の宣伝に山本容子が出演していました。でもどう見ても違和感、感じました。他に一緒に宣伝に登場する女性たちって正直ただのモデルの、ただのおばさんたちですよね(ごめんなさい、わたしとしての正直な感想です)。その中に山本容子が交じるかな。さらにその出演の仕方もなんだか前座っぽいものでした。それはマズイでしょう。山本容子って実は棟方志功並みに日本が世界に誇れる巨匠なのですよ。。。雑誌の編集者がいかに芸術を知らないという事か?あるいはメディアのおごりか?あるいはそれこそが社会一般の画家や芸術家に対するヒエラルキー内での位置づけかな?なんだか寂しくなりました。

世俗と芸術の違いなのですけど、芸術の場合は、のちに必ず歴史的検証がなされます。最終的に愚民政治にならないのが芸術の良いところなのです。例えばアンディ・ウォーホールとロバート・ラウシェンバーグでは知名度でいったら断然ウォーホールでしょうが、やっぱ実はラウシェンバーグだったりするのですね。。。そうです。芸術的な質の高さの違いです。

「流行を作り出し、世論を操作してるのは自分たちだ。安倍政権を潰すのも、朝青龍を辞めさせるのも自分たちのさじ加減でどうにでもなる」最近のマスメディアって、こんな感じでしょうか。ただ、何とかラッセンが芸術でルイヴィトンやロレックスがマジで素晴らしいと思っている程度の価値観ではどうにもならないでしょ。だいたい良く考えれば、マスメディアこそが核心的に世俗なのですよね。多分彼ら自身がそのことを良く知っているんですね。「自分たちは決して歴史に残らない、だからどんなに厚顔無恥に振舞っても平気なんだ」ってなところなのでしょうか?

山本容子美術館
http://www.lucasmuseum.net/menu.html

August 2, 2007

horizontal or vertical

ステレオタイプの人って絶対に、カメラのその造作上の特性のまま(わたしは何を言っているんだ?)、縦に構えるではなくカメラを横に持ったまま、すなわち普通の持ち姿勢のままで写真を撮るのですよ。例えば人間は二本足で立つ動物だから横に細長ではなく、垂直方向に縦長なわけですよね。にもかかわらず、彼らは絶対にガンとしてカメラを横にしたままの状態で写真を撮るのです。純粋な風景写真だったら分かるけど、横長の画面に縦長の人物を入れるわけでしょ。スナップ写真の大きさで考えたら人の顔なんて5ミリにもなりませんよ。

一体彼らは何を撮ろうとしているんだ?風景なのか人物なのか?焦点が分からんのです。肯定的に考えたとして、多分その時の記憶や雰囲気を撮りたいという意識が働くのかもしれませんが、でもそれこそやはりセンスに欠けている。例えば記憶を本当に残したいなら、わたしだったらそのとき食べたポテトチップの空き袋でも撮っておきますよ。だって退色したスナップショットなんかに記憶を洗脳されたくない。それなら個々の断片のほうがよほど新鮮に記憶を甦らしてくれるはずです。

写真の縦横なんぞに吠えても無意味かもしれませんが。正直、こういうステレオタイプ傾向、日本人に多いと思うのですよ。みな簡単にワイドショーに洗脳されますからね。写真にしても決められたスナップショット定形からはみ出してはいかんのでしょう。実際、車を買い換えるのもみなが新車に換えるからだし、ルイ・ビトンの財布を買うのも同じ理由です。

ついでに言うと日本は「美しい国」ではないですよ。日本に来る外国人(特に北米系)の人たちが、どれだけ日本の醜さに落胆して帰ることか。当たり前ですよね。ほぼ日本の全ての地域でで景観をぶち壊している電柱や、けばけばしい看板群を思い出してください。エキゾチックという言葉は使われても、美しいとは絶対に言えないはずですよ。多分安陪ちゃんの写真は全部ホリゾンタルかな?何故日本人はお花見で桜の木にプラスチックの提灯かけちゃうのでしょうか?で、酒飲んで馬鹿騒ぎですか?きっと、美しいという事にしてしまえば美しいという事になるんでしょうね。

July 11, 2007

regular

最近「標準」に拘ります。(ちなみに "regular" 反意語は "secular" 『非宗教的』です。知ってました?)いや、標準じゃなきゃいけないなんて思っていませんよ。でも群れを成す動物は群れから外れると死んじゃんです。

小学校学習指導要領
第1節 国語
・・・
第2 各学年の目標及び内容 〔第1学年及び第2学年〕
1 目標
(1) 相手に応じ,経験したなどについて,事柄の順序を考えながら話すことや大事なを落とさないように聞くことができるようにするとともに,話し合おうとする態度を育てる。
・・・
2 内容
 A 話すこと・聞くこと
(1) 話すこと・聞くことの能力を育てるため,次の事項について指導する。
ア 知らせたいを選び,事柄の順序を考えながら,相手に分かるように話すこと
イ 大事なを落とさないようにしながら,興味をもって聞くこと
ウ 身近な事柄について,話題に沿って,話し合うこと
・・・

小学国語の学習指導要領です。いきなり物凄く微妙だと思いません?。。。「こと」と「事」の事です。微妙に、しかし確実に使い分けていますよね。「こと→行為」、「事→事柄」とでも表記し直してくれたらもっと分かりやすくなるのでしょうが、敢えてこの「ひらがな」「漢字」の違いで押し通している。日本語は中国由来だからもとは当然漢字しか無かったでしょうし、国語表記に関する法律なんて多分無いですよね。だからあくまでデファクト・スタンダードで押し通している訳ですよ。一国の教育を牛耳る機関、文部科学省の定めた国語指導要領がです。いや、別に批判しているのではありません。素晴らしいと思っているのです。だってこの非合理さがアメリカとの違いですからね。本当の意味での「標準」を持たない連中は何でも法律に頼ろうとする。何でもロースーツで何でもバーゲニング・ツールなんだからやってられません。ところが日本では大本営がこの非合理を強く推奨している訳です。

だいたい、合理や理論だけを追うならマン・メイドの法律など信用できるはずないのですから。何故にアトーニーちゃんたちがベンツを乗り回せる世の中なのか?彼らに本当に論理を理解できる頭と、それを追究する信念があったなら、文系の仕事など選んでいないはず。例えるに、「これは論文ではない」などと実際にはたいした論理的な思考などできない大学教授が、生徒の書いたレポートを重箱の隅をつつくように粗探しをしている。。。極めて不完全な社会なのですよ。この社会は。

言っている事、自分でも分からなくなってしまいました。最初に書いたように "regular" 「標準」は実は「宗教的」という意味であったりするのです。標準=論理だとか、論理的であるべきだみたいな考え方は実は危険だったりする。

June 30, 2007

filthy lucre

「お金を儲けることは悪いことですか?」

誰かこんなこと言ってましたよね。最近こんな奴ばっかですね。お金は単に結果ですから、言い換えると「結果がすべてではダメですか?」みたいなことになるでしょうか。結果がすべての世界は複雑な判断基準がない、いわば哲学のない頭の悪い世界です。

汚くお金を儲けるのは、やっぱ差別されなきゃダメでしょ。詐欺やインチキ(汚職、横領、贈賄、収賄、談合...)は当前のこと、ギャンブルのディーラー(パチンコ関係とか)、風俗関係(それらに不動産貸すのだって同じです)とか、やっぱ汚い系の仕事なんですよ。日本では金があれば皆同じ金持ちで済んでいるでしょうが、世界標準はそうではないですよね。

最近、NTTの光云々とかKDDI、ソフトバンクだの電話を使ってのしつこい勧誘にもいい加減堪忍袋の緒が切れます。ひどい業者になると嘘を使って電話料の支払い明細の中身まで探ろうとしますから。手段を選ばないってやつです。正直どこからが振り込め詐欺の世界なのか分らなくなってしまいます。大手電話会社が平気でそういうえげつない業者に業務委託してるわけですよね。あのね~、そりゃ手段を選ばないのだったら金儲けできるでしょうよ。私だって手段選ばなければもうちょっと金持ちになれてますよ。でも人格として組織の品格として、して良いこといけないことデモアケイトできなきゃ。法律とかルールの問題ではなく人間の格としてです。

例えば絵画制作において、もし「結果すべて」だったら人に鑑賞される表面の0.1ミリ厚の部分だけが作品として成り立っていれば良いということになりますよね。でもパソコンのジェットプリンタじゃないんだからそんな制作の仕方、不可能です。仮にそんな作品があったらそれこそインチキでしょ。だいち本当のプロのデッサンや油絵はどんな制作途中段階でも作品としては成立していたりするんですよ。表面を繕う必要などないんです。未完でも作品として成立してしまうのだから。それがプロのスキルであり哲学だったりする。セザンヌの塗り残しだらけの未完成の油絵はちゃんと作品として成立していますよね。

何でも同じお金じゃないんですよ。どんなに一流大学出のエリートであろうが物、金しか見えていない奴、ミートホープのブチャー出の社長と頭の中まったく同レベルですよね。途中の判別式は難しいから放棄ですか。一番単純な価値基準で済むのだったらそんな楽な話はない。でも人間ですからね。人はパンのみに生きるにあらず、ですからね。

追記:最近めっちゃコメントスパムが多いのでCaptchaプラグインを導入してみました。ちょっと読みにくいかもしれませんが、コメントの際にはコードの打ち込みをお願いします。

June 21, 2007

ばか宣言

最初は「私は馬鹿だ宣言」というお題で書き出したのだけど、それでもまだテレがある。単純に「ばか宣言」でいいかな。

やっぱこれは外せません。こうしてブログ書き始めると、ついついおかしな自問自答が始まる。「こんなこと書いていいのか?」「こんないい加減でいいのか?」...確かに自分自身かなり不完全な人間で、記事内容、文章等、並み以下のレベルだということ、いちいち宣言などしなくとも、ちょっと読んでもらえれば容易にご理解頂けるわけです。が、自分自身の精神安定上やはりこの宣言は外せないんですね。。。

大体ね、今この時点でもこの文章「である調」でいこうか「ですます調」でいくか、そんな初歩的なことで悩んでますから、信じられます?そのレベルですよ。しかもブログ書き始めて数年経ってるのに。

逃げといえば逃げだし、実際自信無いわけですから。素直に自分を曝け出すというのは、ブログ上だけでなしに生きる姿勢としても大切かなと思う今日この頃なのです。

(あの...英語に arbitrary 「恣意的な」という単語がるんですよ。でもその単語の仲間の arbitrate や arbiter は「仲介する」や「仲介者」という意味なんです。物事を正しくはっきり発言したければ馬鹿として、恣意的に無責任に言うべきものなんですよ。統計や理詰めを使った証明をするのは思考停止の殺人行為、あるいは事物の存在否定にあたるんです。そういう輩は「ばか宣言」する私より遥かに馬鹿だったりするんですね。これが。...理詰めでは個としての物を見るだけで、関連は見えません。関連で事物は存在して、生きていたりするんですよ。さらにその関連自体も生きていて変化する。ならばそれは捕らえるものではなく、促すものなんです。例えばこれってピカソがどうしてあんな絵を描いたのか、ピカソが恣意を使った理由にも通じるわけです。)

May 5, 2006

怒りの琴線

最近この歳になって漸く少し判ってきました。人間どんなときに「怒り」が発生するのか。それって「期待」なんですよね。期待と言っても二通りある。ネゲティブなものとポジティブなもの。喧嘩するときでさえ人間って相手に期待するのです。相手は自分に対してこんな不当な事をしてくれるんじゃないか、自分の弱点はこの部分だからそこを突いてくるんじゃないかとか、そんなネゲティブな期待を相手がその通りにしてくれると更に怒り心頭になる。

いやこれに関しては過去の経験から多数検証済みです。皆さんも同じような経験はきっとある筈です。例えば自分がレストランの席に座って、ウエイターの溢した水が服に掛かったとします。多分それが突然だったら何が起きたか判らないしそう簡単には怒りは発生しない。ただ、一目でこのウエイター何か危ういな何か仕出かしてくれそうだと思い、それが的中してくれたとき「あ~あ、案の定だ!」なんて状況になる。また、それが突然でこちらがまだキョトンとした状況でも、その後のウエイターの対応次第でいくらでも状況は変わってくる。例えばウエイターが「申し訳ございませんでした」と謝罪し適切な処置をとってくれればそれはポジティブな期待に沿うものだから怒りは発生しない。でも期待しないような…いや実際は期待しているのです。この店員、もしかしたら最悪の発言と行動をするのでは…というネゲティブな期待に沿ってくれた場合、怒りは爆発する。

親子喧嘩で繰り返される光景、「全然勉強してないじゃないか!」「今やろうと思ってたのに!」なんて、まさにこのネゲティブな期待の堂々巡りなんですね。こういった仕組みが判れば工夫次第でなんとか喧嘩にならない、先んじて喧嘩をしない方法が見つかるような気がするのですが…。例えば相手の弱点は突かないようにするとか、突然の場合でも相手のネゲティブな期待の更に逆を突く訳の判らぬ反応をとるとか…。

まぁ、でもこの「期待」というもの自体が実に厄介だったりする。何故なら期待というのはあくまで自分の作り出す物語の世界なのですから。極めて自己中心なのですね。たとえそれがポジティブなものであったとしても事実がそれに反するものなら、「期待を裏切られた」なんてなるのです。裏切られるって、事実はただ自然に流れただけの事であり、実際は私たちの主観と違っただけなのです。

と、なると「期待」を持たないのがベストなような気がするのだけど…それをするのは在り得ないほど至難の業ですよね。ん~だいたいそれが出来たとしても感情の無い棒人間のようになってしまうかもしれないし…。

期待と怒りの公式
ネゲティブな期待 :true > ポジティブな期待 :false > ネゲティブな期待 :false > ポジティブな期待 :true

April 7, 2006

she will be loved

opps.jpg
画像をクリック

久しぶりにクールな映像を見つけたので紹介します。エロです。いやいや!このブログでは絶対にエロは載せません!この程度が18禁だったらもう世界は終わりです。多分見る人の世代、性別、価値観によって変わってくるのでしょうね。でも女性が肌を見せられるかどうか、その社会の保守性と大きく関係してきますね。あるイスラムの国々では女性はほっ被りどころか外界では顔も見せる事が出来ない。それってOKなのでしょうか?自分からすると殆ど監禁の世界のような気がするのだけど・・・。

だって男は平気でTシャツ脱いで乳首をさらして街中歩けるでしょ。何故に女性がそれをしちゃいけないの?多分メインな理由は安全じゃないから・・?でも安全でないというのは完璧にその社会の弱さでしょう。個人の道徳云々は単なる話のすり替えで根本は社会システムの未熟さ脆弱さにあると思うのだけど。

この前テレビ見ていたら髪の毛オールバックにした変なおばさんが一生懸命ニートに説いていました。「人間は社会と関係してなきゃダメだ」って・・・。確かにその通りです。でもニート増加の根本原因は失業率の上昇と日本の終身雇用制度の崩壊ですよね。一人一人ニートに道徳説いてもどうにもならないでしょう。どうも分かっているようで全く分かっていない人達が多過ぎる。その辺の合理性って、何故日本人には無いの?だいたい、あのおばさんも根本としては女性は男性に尽くす・・・みたいな事を言っているのですよ。何故?何を持って女性が男性に尽くす必要があるの?例えば日本の人口減少を女性の社会進出のせいにする人も結構いるけど、問題はそれに対応できてない社会じゃないの?日本って教育費の保障なんて何処にも無いでしょ。育児の為に女性を助ける保障も何処にも無いでしょ。若者も女性も新しい考えに変わってきているのは厳然たる事実なのですよ。考えを改めさせて鎖国の時代に戻ろうなんてあり得ないでしょう。・・・政治や社会システムの遅れ、その辺りが大問題なのだと思いますよ。

このビデオカッコ良いと思いません?多分余計な事書かない方がもっと感じて貰えたかも。 Maroon 5 の曲が半分は占めているかな?女性が胸をさらすってどんな意味を持つのでしょうか?多分大した事じゃないのですよね。でも何故かそれぞれにちょっとした意味や恥じらいがあったりして、或いは「はい見せました、だから何よ」なんてね。その辺が読み取れるからこそカッコ良い、なんて思うのかもしれません。それから根本的に芸術や美術って人間中心の世界なのです。何か特別なものを見せるのが美、ではないのです(なんだか自分で納得します)。

April 1, 2006

rule

(某大手)○○○○○事務所所属タレントの画像や動画をweb上に載せることは固く禁止しています。
だそうだ。不思議に思う。そして彼らはそれをきちんと守っているのだ。何故?当然歌詞を載せるのもダメだし、ブログでギャル文字も禁止だそうだ。別に絶対ではないのだろうが、それをするとファン仲間から干されるのだろう。だったら、彼らはNHKのアナウンサーが、これは正しい日本語でこれは間違った日本だと言えば、それをそのまま信じ込むのか?多分…。多分「漢委奴国王」の金印も教科書に載っているのだから100%信じている・・・のだろう。何故に彼らはそんなに素直なんだ?(ちょっと帰納法使いすぎてます。スイマセン。)

JL&DB

だってファンなんだもの載せちゃうってばさ。自分なんて下手するとビートルズのブートレッグとか流しちゃいそうな勢いだってばさ。

写真も使わせないでファンにブログを書かせるって・・・一体どんな事務所なんだ?何故ファンはそんなにMで平気なんだ?著作権ね・・・

どうもわからん事が多い。作家や芸術家なら話は別だろうが、彼らはアイドルなのだもの。顔写真使われてなんぼなんだよね。と、いうことはここで圧し掛かってくる著作権ってあくまで事務所の利益絡みの理由が大な筈。どうも事務所はファンの心理を上手く使いすぎていないか?ファンは耐え忍ぶ事でさらにファン度を増すのか?

ついでにこんな写真だって載せちゃうだってばさ。

mouse.jpg
注 当ブログではエロは絶対に扱いません。

参考
自由からの逃走 新版

(注 金印についての真偽は現在では真とするのが当然とされています。私も詳しく調べたわけでないので何も突っ込めません。でも確率的にそんな事あるのか?っていつも思うのです。しかも現代の考古学者が見つけたのではなく江戸時代の農民が見つけたのですよ。)
(注 それから言葉って変化するものなのです。NHKのアナウンサーや文部省の役人がこれが正しい日本語だとか決めるものではないのです。)

March 29, 2006

fur

毛皮のコートの件ですが、こんなビデオがあったので紹介します。当然暴力はOKではありません。このビデオ、極端だと思われるかもしれませんが、暴力の本質も突いていますね。一度使えば今度は一生それを恐れて生きなきゃいけない。動物に対する暴力も同じです。暴力だけじゃないですよ。人間の身勝手さ全域です。搾取すれば今度は搾取されるのを恐れなきゃいけないし、人を騙せば今度は騙されるのを恐れなきゃいけない・・・。

こんなの小学生や中学生に言うような内容でしょ。でも日本には(世界にも)それが分かっていない阿呆な小金持ちや政治家、役人、大学教授・・・山のようにいるのですね。

このビデオだけだと何のこっちゃか分からないかもしれません。こちらもご覧下さい。
http://216.25.73.52/media/Seal_Hunt_512k.wmv

http://www.furisdead.com/index.asp

March 25, 2006

seal hunt

seal1.jpg
seal3.jpgseal2.jpg

Fast Focus on the Environment (是非このサイトをご覧下さい)
http://www.fastfocus.tv/media.aspx?id=262

Stop the Seal Hunt
http://www.stopthesealhunt.ca/site/pp.asp?c=dhKPI1PFIqE&b=437193

カナダ政府は今年のアザラシ捕獲制限を去年の 320,000匹から 325,000匹に増やしました。これは狩猟なんてものではありません。生後2ヶ月の赤ちゃんアザラシは海の中に泳いで逃げる事も出来ません。他の動物に対する警戒心なんて全くないのです。完全な虐殺です。カナダ政府は生態系の維持や漁獲量の維持と理屈を言いますが、だったら何で赤ちゃんアザラシなのでしょう。ポール・マッカートニーも(ついでに私も)それを絶対に許しません。(こういった反対キャンペーンは主にアメリカで行われています。確かにアメリカとカナダの仲たがいも関係しているでしょう。ただし実際は殆どのカナダ人も NO! と言っているのです。)

毛皮のコートを買ったり着たりする事、2ch 的に言うとそれこそ DQN です。私は教育関係なのでよく分かる。正直、人間の頭に良いも悪いもありません。環境でどうにでも変わる。学歴での DQN なんて笑っちゃいます。しかし DQN はどうやら確実に存在する。それは人間の根本的な質に関してのものです。

March 18, 2006

identity

The noisy wheel gets the oil.

The nail that sticks up gets beaten down.

上記二つは西洋文化(狩猟)と東洋文化(農耕)を端的に表す諺(proverb)です。これを読むとどうやら東洋文化はアイデンティティー(identity)を持つのを是としていないような感覚を与えるのだが…。しかし、どうやらアイデンティティーで問題なのは単なる「我の強さ」ではなく、その質のような気がする。アイデンティティーを自分を作り出す核で、人は自己と他の客観物との同一視によってそれを行うと定義すると、重要なのはその同一視する対象という事になるはずだ。

例えばある人はその対象物を自分の国籍や性別、信じる宗教とした、一方ある人はその対象物を自分の家族、自分の容姿・体型、自分の育った境遇、自分の職業上の技能としたとする。この場合確かに前者の同一視対象物がよりステイブルという印象を与える。だが実はアイデンティティーに関する限りその同一視対象を神や仏に求めるよりは、後者のもっと具体的な独自性を持つものとする方が、それ自体の質はともかく方法論的な質として上にくるように思われるのだ。何故なら前者はアイデンティティーとしては余りに範囲が広く共有者が多過ぎる。すなわち自己を確立するもとしては脆弱な基盤となってしまうのだ。実際これは思春期の青年心理、彼らの多くは自己の対岸に理想像を置くから、自己否定の裏側として自分よりより大きな存在に自己同一性を求める…に多く見られる傾向だ。そして歳を増すごとに人間のアイデンティティーも実は変化する。今まで同一視対象を大きな物に置いていた人達ももっと個別で具体的な物へと、例えば国を愛するよりは自分の生まれ故郷を愛し、自分の家族を愛するというように変化するのだ。・・・そうあるべきはずなのだが。

・・・と、まぁこの歳になってまだ「アイデンティティーの確立」なんて問題を考えてます。そうです。アイデンティティー確立しなきゃ・・・ではなくて(でも良いのですが)、最近何故かフロムの「自由からの逃走」などちょこっと読み返してます。彼は国のような大きな固まりが保守化するのを主に人間の持つ性的な部分(サド・マゾや権威的性格)が起因する、人間は自由を与えられる程に戒律を欲する、と見るわけです。その部分をどうしてそんな風になるのだろっと思いまして・・・。

以前テレビで「いわしの群れ」の性質を見た。なかなか興味深かった。例えば群れに天敵が近づくと、瞬時にしてその方向を変える。まるで群れ全体が一つの生物であるかのように。「空気を読む」というが彼らは水を読む。いや読むどころでなく一匹一匹がテレパシーか電気信号で結ばれているかのようにだ。(…ん~それって絶対何かある。あの瞬時の動きはあり得ないもの…。)そしてもし一匹だけが運悪く群れから外れれば、その一匹は集団による行動を失う。敵に近づかれてもどう動けばよいのか分からなくなるのだ。よって大きな魚に簡単に捕獲されてしまう。多分、人間に残されている集団への本能とも関係している。一匹だけでは足りない生態学的な行動基盤を集団で行動することによって補えるのだ。

要するに人間の中にある生物学的な本能を考えると、「個・孤」でいる事は耐え難い恐怖なのだ。その恐怖は自己のアイデンティティーが脆弱な程強くなるはず。ポストモダンの時代は大人が大人になりきれない時代・・・。

最初に挙げた二つの諺はあくまでアイデンティティーの強弱やその表出を社会がどう見るかを言っているだけ。結局その質自体には何も触れていない。でもアメリカでも日本でも保守化は起きている。ということは、問題となるのはその中味の質、構造的な質になるはずなのだ。

March 10, 2006

大人の塗り絵のすすめ?

この前本屋で平積みコーナーをちらちら眺めたのだけど、多分このラインだと思う。
「○家の品格」-「大人の塗り絵
このラインというのは、いきなり「日本は世界で唯一の情緒と形の文明」と論理もへったくれもない言葉をぶち挙げながらもやたらと論理を強調する「○家の品格」の著者のセンスにはけっして無い言葉「アプリオリ」、私のそれがそう言わしめてくれるのだ。(私の場合全否定ではない。当然日本の文化は守りたい。アメリカの奢りは許せない。ただあの本と著者の理論ではね・・・。)

例えばあの本の中で著者は「人殺しは悪いこと」は論理的に説明できない、などと言っている。え~マジ?どこぞの大学の教授の"おつむ"ってそんなものなの?それこそ100パー論理でしょ。めっちゃ頭にきても理性がそれを押さえるのでしょう。人を殺すのは暴力なのよ。暴力は一度使えば一生それに脅えて生きなきゃならない。人を殴ったら今度はいつ自分が殴られるのかビクビクしてなきゃならない。その恐怖の為にまた人を殴るという悪循環にはまる(アメリカのように)。だから暴力は使っちゃいけない。人は物凄く弱い存在で眼に見えない風邪のウイルスでも死ぬのよ。当然殴っても死ぬかもしれない。だから「殺してはいけない」でなく、傷付ける行為自体をまずしてはいけないのだ。・・・多分あの著者、お勉強ばかりで小さい頃本当の取っ組み合いの喧嘩とかした事がなかったのだろう。

それからあの著者、アメリカに3年居たということで、さもアメリカ人を知ったような事を言っている。でも多分まったくコミュニケーションとれてなかったのじゃないの?アメリカ人って「この人には通用しないな」ってな場合、絶対に本心は見せないのよ。自分もあの人だったら、けっして本心は見せないな。だって論理、論理と言ってるくせに論理ボロボロなのだもの。多分人を思いやる心(情緒のようなもの)に関してもその時点の彼よりアメリカ人の方が断然あったはず。3年間もアメリカに居て友達一人も出来なかった、で、今思い出すと腹立つ事ばかりで反動に走るというパターン?

もっと沢山言いたいのだが、どうもあの本読んでいるとキモくて。例えばあの著者、結局論理ではないと「情緒」に行き着くようなのだけど、あのね、西洋哲学にもドイツ観念論とか超越論とか一杯あるのよ。その辺は完全無視でしょうか?・・・正直言って数学系ってちょっと足らない奴多いような気がする。オカルト宗教にはまるのも理数系が多かったりする。どうも彼らの理論、3Dではないんだよね。

どうか日本人があの著者が作り出すような、貧相な形の大人の塗り絵(ドグマ)にはまりませんように。

・・・彼が舌で唇ペロペロなめながら夢中になって「大人の塗り絵」をしている・・・という死ぬ程フリーキーな光景が頭に浮んでなりません・・・。

March 8, 2006

wild-goose chase

たまには "Quotation of the Day" から、

Happiness in this world, when it comes, comes incidentally. Make it the object of pursuit, and it leads us a wild-goose chase, and is never attained. Follow some other object, and very possibly we may find that we have caught happiness without dreaming of it. Nathaniel Hawthorne

世の幸せとは、それが訪れる時はいつも"ついでに"やって来るものだ。それを追求の対象にすれば、ただむだ骨を折るだけでけっして達成はされない。何か他の対象を追った方がいい、そうすればかなりの確率で我々はそれを夢見ることなく既に捕まえていることに気づくはずである。


と、言う事らしいです。駄菓子屋の30円くじだって当ててやろうと思う時はだめなんですよ。お金も運も異性も追えば追うほど逃げて行く。何故?何故ってそれはこっちが聞きたい。だいたい皆選り好みし過ぎなんですよ!・・・と、される立場、更にはされて弾かれる立場は思ったりします。

"Do you really think life is a strategy?" "What did you get after all?"

と、自問自答を含め吠える始末です。

March 6, 2006

Duchamp

自分の敬愛するデュシャン (Marcel Duchamp) の作品です。「チェスをしている風景を写真に撮った・・・」のではなく、演出された意図的な作品です。以前画集からコピーを頂いた物ですが、多分余り人には知られていないと思います。題名は・・・はっきりと覚えていないのですが「舌を出すデュシャン」とかそんな感じだったかな?(無責任でご免なさい)興味のある方はあちこち調べて見て下さい。(一緒にチェスをしているのは多分マン・レイの筈です)

この作品からデュシャンとは一体何者だったのか、デュシャンのセンス、良く分かるでしょう。面白いですよ。だって世の評論家なる方々はそれに色んな解釈や理屈を付けてくれるのですから。勿論画家は絵を描いて、評論家はそれを批評して食べているのだから持ちつ持たれつでOKですけどね。ただね、今時になってもインスタレーションに真剣に取り組んでいる芸術家の方々、それはちょっと無いのじゃないかな。多分それはデュシャンの方向性とは180度逆だと思うのだけど・・・。

「推して知るべし、デュシャンの愉しみはもう無いのだよ。」
もしそれを知ってでも続ける人は本当の退廃を愛する人なのでしょう。ちょっと前に物議を醸したものでは乳児の死体に鳥の剥製をくっ付けたインスタレーションなんてのもあった。芸術に定義は必要ないけど、限りなく大衆の手に堕ち続ける世界には興味はありません。

February 16, 2006

The Rose