process
わたしにとってデッサンは物の存在を確かめるプラクティスです。修行僧のようにデッサンします。(注: サムネイルは3段階ですがクローズアップ画面は5段階に分かれています。)
画面の中にイメージが膨らむよう、描き出しはかなりソフトなタッチで始めます。あまり強い輪郭線は引きません。輪郭線はその物質と他の物質を隔てるもの、ではなくてその物質と他の物質の関係を表すものとして引いたほうが良いでしょう。物を描くのではなく空気を描くような気持ちです。それから入れ方(構図)は大切です。それで絵の半分は決まってしまいます。妥協は禁物です。(30分。このくらい描くのはあっという間です。ただし構図がダメな場合は何回でも描き直しです。)
わたしの場合(知ってます?天才ピカソは画面左上から順に流れ作業のように絵を描いたりしています。)天才ではないので、全体に調和を図りながら仕上げていきます。描く過程も作品の一部のようなつもりです。ひとつひとつのモチーフを描いているという意識よりは絵全体を仕上げているという意識のほうが良いと思います。(その意味ではピカソの流れ作業のような製作過程は正しく思えます。)面白いもので部分を描いていると絵のほうが次はここを描いてくれと要求してきます。ただし雰囲気に流されるのではなく、しっかりそこに存在する物が描けることは大切です。描いているうちに当然、修正箇所が出てくるのですが、それが自分自身で分かるかどうか、それがそのままその人の熟練度となるわけです。(2時間。)
「バッチリこれで完成・・・」なんて思ったこと今までに一度もありません。毎回何か、しこりが残ります。というか自分の不甲斐なさを感じます。ん~、なんとか次に活かしましょう。(6時間。多分完成。仕上がりに近くなるほど時間がかかります。)
デッサン修行僧がとり合えず分かった!? と思っていること。
「事物の存在とは事物の関係である。そしてその関係は人間が見るという行為(意志、あるいは錯覚)によって発生する。」

。これって人の性?あるいはわたしだけ?物事が制御できない悪い方向に進んでいく、例えば戦争前夜なんて、きっとこんな雰囲気なんですよ。良識も見識もある大人たちが相手の短所はよーく発見できて、ただし自分の短所は全然分からない。で、「とり合えず次の一手は?」で物事が進んでしまう。
