哲学者からの手紙
「百聞は一見にしかず」などと言うが、その「一見」の確からしさはどの程度のものなのだろう?
以下は「錯視の広場/哲学者からの手紙」
http://psywww.human.metro-u.ac.jp/sakusi/index.htmよりの抜粋。
世界の話を哲学者がするのは気が狂ったときか、死ぬ間際かのいずれかだと思うけれど、あえて、言えば、宇宙は、霧のように姿をもたない実体だ。僕らは、それに認識の光を当てる。そうすると、世界は、ある形になって見えてくるけれど、光の当てかたによって一様にはならない。
それはあたかも、三次元の物体を二次元の平面でスライスするようなもので、当の物体の側面はとらえることができるかもしれないが、それは世界の本性にはならない。
我々は数千年の間、世界のあり方を見つめてきた。そこには幾重にもなった時間の層があり、歴史の中の重みがある。
しかし、それは、霞をつかもうとする森の人の姿とどこか似ている。 世界に姿はない 霧の空間は 認識というレンズの背後で静かに像を結ぶ。
確率のことを難しい言葉で「蓋然」という。蓋然の蓋とは人間の頭蓋骨を指す。そしてその形からドーム型の半球をあらわす。人間はその自分達が作ったドーム型の「確率」の世界でただ右往左往しているだけなのではないだろうか?



