alternative
言語というのは意志伝達の道具であると同時に、ときにそのままで哲学、それを使う民族の歴史や英知の蓄積を物語る。中国や日本で使われる漢字は、ご存知のように一語でも意味を持つからその組み合わせによっては当然、かなり複雑で深い意味を表す。一方、英語は音声表記だから大したことは無いのでは…なんて思う方もいるかもしれないが、いやいや、単語同士の関係や意味内容などをみると色々面白い事が解ってくる。
例えば「絶対」という意味の”absolute”(形容詞)。でもその名詞形”absolution”の意味は?…「許し」。そう、絶対は絶対ではなかった。許しがあってはじめて絶対なのだ。多分これは宗教上の免罪符から出た言葉なのだろうが、理に適っているよね。英語の中にはこんな風に同じ語源なのに何故か相反する意味を持つ言葉があったりする。最初はおかしいな、で済んでしまうのだが、よくよく考えるとそこには深い意味、それを使ってきた人間達の本人達でさえ気づいていない英知がある。
例えば他にも”alternative”とか。辞書で調べると「どちらか選ぶべき・二者択一」と「新しい・型にはまらない」と、一見関係無いというか、それ以上に逆説的な二つの意味が載っている。こういう場合は疑うべき。だって二者択一って、選ぶべき一つって、人生の中で本当にあると思いますか?人はとかく何かを決定したがる。でもその決定に縛られて自分を見失うなんて多々ある。勿論一番大切なのは、選ぶべきは自分の子供や家族であり…それは当たり前。でも気持ちと決定を混同しては困る。だいち子供も家族もあなた自身ではないのだから。気持ちは永遠でも、決定は一時であり永遠(ドグマ)にしては困る。もし仮に、どこぞの政治家に人類の平和と自由のため”We need to make a decision!”なんて言われて核のボタン押されたらたまったものじゃない。実際、人生で「選ぶべき一つ」なんて無い。断言する。だから”alternative”には、もう一つの意味「新しいもの」が生まれてきたのじゃないかな。自分はそう解釈する。
それから以前書いたか書かなかったか、”different”の反意語”indifferent”だけど、普通なら「違う」の反意語は「同じ」すなわち”same”と考えるよね。でも、同じなんて事この世の中に在り得ると思いますか?当然、人は他の人と同じである事を望む。何故なら違う事が怖いから。で、結局それを望んだ人達の行く末は”indifferent”。何故なら”same”なんて在り得ないのだから。
…ちなみに”indifferent”の意味は「無関心な・無頓着な・冷淡な・並みの」…(違いを怖がる人達の典型的な姿だと思いませんか?)。
勘違いして頂きたくない。自分は優柔不断が良いと言っているのではない。当然、何かを決定しなければならない事は多々ある。でもそれに支配されてはいけない。決定はいつでも覆されるし、そう在るべきなのだと思う。「絶対」なんて事はないのだ。仕事が嫌なら辞めればいいし、学校が嫌なら行かなければいい。人生は様々。やり方も様々。問題はそれらの多様性に答えられない社会。臨機応変に答えられない社会は未熟な社会…だと思う。



