他動詞
この前「ダーリンの頭ン中」という本(漫画…といっても言語学の啓蒙書のような内容)を読んでいたら、ちょっと気になる部分があった。
例えば、アメリカでは学校とかで文章を書くとき、なるべく「受け身(受動態)」の文は最小限にすべきと教わるそうな。そのほうがクリアーで、筆者の責任に基づく文章になる、という事らしい。「~とされている」「~と言われている」「~が求められている」…確かに日本人は受け身を多用する。と、いうことは日本人は自主性が無く、責任回避の姿勢な訳か…。
ん~そうかな?自分の頭の中に浮んだのは、英語の動詞と日本語の動詞の根本的な違い。英語は日本語より他動詞を多用する(ここの部分、自分の判断です。もし違っていればこの記事全て無効です。でも、そうだと思うのだけどな…)。他動詞(目的語を必ず必要とする動詞)というのは、もとに使役(~させる)の意味合いが含まれる。考えてみれば当たり前。自動詞の「自」は自分がするから、他動詞の「他」は他者がするから。日本語の例で言うと「私は外に出る」の「出る」は自動詞。「私は外に猫を出す」の「出す」は他動詞(他動詞の「他」とは目的語にとっての他者)。他動詞の場合、意味的には「私が猫を外に出させる」わけです。で、英語の場合は「再帰法(目的語に~selfを使う)」というのがあって、他動詞でも自動詞の意味合いを持たせる事が出来たりもする。例えば英語の「sit」は自動詞では「座る」だけど、他動詞では「座らせる」になる。自動詞はあるのだけど何故か「I sit.」なんてあまり言わない気がする。自分が座った場合もわざわざ他動詞を使った再帰法で「I sit myself down.」なんて言う。
さらには「感情を示す他動詞」なんて、もっと顕著。それらは殆ど「~させる」の意を持つ (例:amuse, confuse, content, depress, disappoint, interest, surprise…)。こういう単語は皆、例えば「驚く」ではなくて「驚かせる」、「~させる」の意。よって、これらを普通に自分の自発経験として使いたければその受け身形「~させられる」を使い「~した」ということになる。(尚、現在ではその結果、これらの単語の過去分詞は形容詞化している。)
例 The dog surprised me. (その犬は私を驚かせた。)↓
I was surprised at the dog.(私は犬に驚かされた。→驚いた。)
なんだか専門的でちょっと解りにくくなっていますね。結論を急いだほうが良さそう。要するに英語は他動詞を多用する傾向があって、すなわち自分をも含む世の中の事柄を「~させて、~させられる」と見る傾向があるということ。感情を表す表現など特に「~する」の自発ではないわけになる。「嬉しい(happy)」という形容詞はあっても、「喜ぶ」という自発的な動詞は無い。この場合は「喜ばせる(please)」か「喜ばせられる(be pleased)」かのどちらかという事になる。(自動詞、絶対無いわけではありません。delightとかある。でも使用頻度は低い。)
多分これはキリスト教という一神教の宗教観から来ているのかもしれない。自分達は神の御心の中で生かされている、感じさせられている…という感覚かな?でもそう考えると、どうだろう…日本語には最終的に受難者となって責任をとってくれる人間は誰もいないわけだ。自分の発言はもろ自分に降りかかってくる。別にどちらが自発的だなんて文化論はどうでもいいのだが、だからこそ日本語は、責任という事をよく知っているからこそ、逆説的に受け身の言い回しが増えてくるのじゃないかな…。




