identity
The noisy wheel gets the oil.The nail that sticks up gets beaten down.
上記二つは西洋文化(狩猟)と東洋文化(農耕)を端的に表す諺(proverb)です。これを読むとどうやら東洋文化はアイデンティティー(identity)を持つのを是としていないような感覚を与えるのだが…。しかし、どうやらアイデンティティーで問題なのは単なる「我の強さ」ではなく、その質のような気がする。アイデンティティーを自分を作り出す核で、人は自己と他の客観物との同一視によってそれを行うと定義すると、重要なのはその同一視する対象という事になるはずだ。
例えばある人はその対象物を自分の国籍や性別、信じる宗教とした、一方ある人はその対象物を自分の家族、自分の容姿・体型、自分の育った境遇、自分の職業上の技能としたとする。この場合確かに前者の同一視対象物がよりステイブルという印象を与える。だが実はアイデンティティーに関する限りその同一視対象を神や仏に求めるよりは、後者のもっと具体的な独自性を持つものとする方が、それ自体の質はともかく方法論的な質として上にくるように思われるのだ。何故なら前者はアイデンティティーとしては余りに範囲が広く共有者が多過ぎる。すなわち自己を確立するもとしては脆弱な基盤となってしまうのだ。実際これは思春期の青年心理、彼らの多くは自己の対岸に理想像を置くから、自己否定の裏側として自分よりより大きな存在に自己同一性を求める…に多く見られる傾向だ。そして歳を増すごとに人間のアイデンティティーも実は変化する。今まで同一視対象を大きな物に置いていた人達ももっと個別で具体的な物へと、例えば国を愛するよりは自分の生まれ故郷を愛し、自分の家族を愛するというように変化するのだ。・・・そうあるべきはずなのだが。
・・・と、まぁこの歳になってまだ「アイデンティティーの確立」なんて問題を考えてます。そうです。アイデンティティー確立しなきゃ・・・ではなくて(でも良いのですが)、最近何故かフロムの「自由からの逃走」などちょこっと読み返してます。彼は国のような大きな固まりが保守化するのを主に人間の持つ性的な部分(サド・マゾや権威的性格)が起因する、人間は自由を与えられる程に戒律を欲する、と見るわけです。その部分をどうしてそんな風になるのだろっと思いまして・・・。
以前テレビで「いわしの群れ」の性質を見た。なかなか興味深かった。例えば群れに天敵が近づくと、瞬時にしてその方向を変える。まるで群れ全体が一つの生物であるかのように。「空気を読む」というが彼らは水を読む。いや読むどころでなく一匹一匹がテレパシーか電気信号で結ばれているかのようにだ。(…ん~それって絶対何かある。あの瞬時の動きはあり得ないもの…。)そしてもし一匹だけが運悪く群れから外れれば、その一匹は集団による行動を失う。敵に近づかれてもどう動けばよいのか分からなくなるのだ。よって大きな魚に簡単に捕獲されてしまう。多分、人間に残されている集団への本能とも関係している。一匹だけでは足りない生態学的な行動基盤を集団で行動することによって補えるのだ。
要するに人間の中にある生物学的な本能を考えると、「個・孤」でいる事は耐え難い恐怖なのだ。その恐怖は自己のアイデンティティーが脆弱な程強くなるはず。ポストモダンの時代は大人が大人になりきれない時代・・・。
最初に挙げた二つの諺はあくまでアイデンティティーの強弱やその表出を社会がどう見るかを言っているだけ。結局その質自体には何も触れていない。でもアメリカでも日本でも保守化は起きている。ということは、問題となるのはその中味の質、構造的な質になるはずなのだ。




コメント
こんにちは!お初です!
僕も音楽を紹介してるブログをやっているんですが、このブログがすごく質の高くいいブログだと思ったので、よかったら友達になってください!
投稿者: みんな!これを聞いてくれ! | March 20, 2006 9:42 PM
ブログ紹介サイトが出来ました。
もし、あなた様がよろしければ・・・
当サイト「BlogStation69」にてあなた様のブログをご紹介させていただけないでしょうか?
投稿者: BlogStation69 | March 21, 2006 1:30 AM
みんな!これを聞いてくれ!さん、
な、なんと、文字通りの有難いお言葉。私の場合ちょっと古めのが多かったりするのですが、こちらこそどうぞお友達になってやって下さい。
投稿者: mars | March 21, 2006 12:13 PM
BlogStation69さん、
どうぞ紹介してやって下さい。と、いうより登録のお誘い?今度時間のあるとき登録させて頂きます。
投稿者: mars | March 21, 2006 12:25 PM