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怒りの琴線

最近この歳になって漸く少し判ってきました。人間どんなときに「怒り」が発生するのか。それって「期待」なんですよね。期待と言っても二通りある。ネゲティブなものとポジティブなもの。喧嘩するときでさえ人間って相手に期待するのです。相手は自分に対してこんな不当な事をしてくれるんじゃないか、自分の弱点はこの部分だからそこを突いてくるんじゃないかとか、そんなネゲティブな期待を相手がその通りにしてくれると更に怒り心頭になる。

いやこれに関しては過去の経験から多数検証済みです。皆さんも同じような経験はきっとある筈です。例えば自分がレストランの席に座って、ウエイターの溢した水が服に掛かったとします。多分それが突然だったら何が起きたか判らないしそう簡単には怒りは発生しない。ただ、一目でこのウエイター何か危ういな何か仕出かしてくれそうだと思い、それが的中してくれたとき「あ~あ、案の定だ!」なんて状況になる。また、それが突然でこちらがまだキョトンとした状況でも、その後のウエイターの対応次第でいくらでも状況は変わってくる。例えばウエイターが「申し訳ございませんでした」と謝罪し適切な処置をとってくれればそれはポジティブな期待に沿うものだから怒りは発生しない。でも期待しないような…いや実際は期待しているのです。この店員、もしかしたら最悪の発言と行動をするのでは…というネゲティブな期待に沿ってくれた場合、怒りは爆発する。

親子喧嘩で繰り返される光景、「全然勉強してないじゃないか!」「今やろうと思ってたのに!」なんて、まさにこのネゲティブな期待の堂々巡りなんですね。こういった仕組みが判れば工夫次第でなんとか喧嘩にならない、先んじて喧嘩をしない方法が見つかるような気がするのですが…。例えば相手の弱点は突かないようにするとか、突然の場合でも相手のネゲティブな期待の更に逆を突く訳の判らぬ反応をとるとか…。

まぁ、でもこの「期待」というもの自体が実に厄介だったりする。何故なら期待というのはあくまで自分の作り出す物語の世界なのですから。極めて自己中心なのですね。たとえそれがポジティブなものであったとしても事実がそれに反するものなら、「期待を裏切られた」なんてなるのです。裏切られるって、事実はただ自然に流れただけの事であり、実際は私たちの主観と違っただけなのです。

と、なると「期待」を持たないのがベストなような気がするのだけど…それをするのは在り得ないほど至難の業ですよね。ん~だいたいそれが出来たとしても感情の無い棒人間のようになってしまうかもしれないし…。

期待と怒りの公式
ネゲティブな期待 :true > ポジティブな期待 :false > ネゲティブな期待 :false > ポジティブな期待 :true

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コメント

 ふふふ、何となく分かる気がします。
漠然とした予測や期待感っていうのは自然と持ってしまいますもんね。
心中で組み立てる前に素直に生きていきたいと思っても、心のどこかで組み立てては壊しの繰り返し・・・人間って結構面倒臭いですよね。
ホラ見ろ! 俺の組み立てた路線通りに失礼かましおって! な~んてね。(笑
悪い予感が当たると怒りが激化するのは確かみたいですね。

暖房さん、
そうなんです。人間っていつも勝手に予測して勝手な期待感を持つ。何て哀れな動物なんでしょう。だから仏教とか、やたら「無」を強調するのでしょうか。ところが人間は経験を積むごとに次々にステレオタイプ的に予測をかましまくる。自分にはまだその是非が分かりません…。
ただし、ネガティブな予測は良く当るんだな、これが!
一体どうしてなんだ?

 そうそう、話は違いますがちょっとお誘いです。
うちの右下に芸術雑記帳というのがあるんですが、面倒臭いシステムで申し訳無いんですが、もしもお気に入って下さったら是非ご参加下さいな。
すいません、ほぼ広告ですが、どうぞよろしくお願い致します。
勿論却下される事を覚悟の上ですのでどうぞその点はお気遣い無くお願い致します。
では失礼致します。

暖房さん、
了解しました。
良い記事が書けたら参加させて貰おうと思っていたのですが、後でこの記事を使って試してみます。

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