regular
最近「標準」に拘ります。(ちなみに "regular" 反意語は "secular" 『非宗教的』です。知ってました?)いや、標準じゃなきゃいけないなんて思っていませんよ。でも群れを成す動物は群れから外れると死んじゃんです。
小学校学習指導要領
第1節 国語
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第2 各学年の目標及び内容 〔第1学年及び第2学年〕
1 目標
(1) 相手に応じ,経験した事などについて,事柄の順序を考えながら話すことや大事な事を落とさないように聞くことができるようにするとともに,話し合おうとする態度を育てる。
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2 内容
A 話すこと・聞くこと
(1) 話すこと・聞くことの能力を育てるため,次の事項について指導する。
ア 知らせたい事を選び,事柄の順序を考えながら,相手に分かるように話すこと。
イ 大事な事を落とさないようにしながら,興味をもって聞くこと。
ウ 身近な事柄について,話題に沿って,話し合うこと。
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小学国語の学習指導要領です。いきなり物凄く微妙だと思いません?。。。「こと」と「事」の事です。微妙に、しかし確実に使い分けていますよね。「こと→行為」、「事→事柄」とでも表記し直してくれたらもっと分かりやすくなるのでしょうが、敢えてこの「ひらがな」「漢字」の違いで押し通している。日本語は中国由来だからもとは当然漢字しか無かったでしょうし、国語表記に関する法律なんて多分無いですよね。だからあくまでデファクト・スタンダードで押し通している訳ですよ。一国の教育を牛耳る機関、文部科学省の定めた国語指導要領がです。いや、別に批判しているのではありません。素晴らしいと思っているのです。だってこの非合理さがアメリカとの違いですからね。本当の意味での「標準」を持たない連中は何でも法律に頼ろうとする。何でもロースーツで何でもバーゲニング・ツールなんだからやってられません。ところが日本では大本営がこの非合理を強く推奨している訳です。
だいたい、合理や理論だけを追うならマン・メイドの法律など信用できるはずないのですから。何故にアトーニーちゃんたちがベンツを乗り回せる世の中なのか?彼らに本当に論理を理解できる頭と、それを追究する信念があったなら、文系の仕事など選んでいないはず。例えるに、「これは論文ではない」などと実際にはたいした論理的な思考などできない大学教授が、生徒の書いたレポートを重箱の隅をつつくように粗探しをしている。。。極めて不完全な社会なのですよ。この社会は。
言っている事、自分でも分からなくなってしまいました。最初に書いたように "regular" 「標準」は実は「宗教的」という意味であったりするのです。標準=論理だとか、論理的であるべきだみたいな考え方は実は危険だったりする。



