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September 28, 2007

Shudder to Think

Go to AmazonShudder to Think/ Funeral at the Movies, Ten Spot

さっき本屋に行ったらあまりにもナンセンスというか、絶望的に(何かが)欠落しているタイトルの本、見てしまいました。「絵画の向こう側」(NHKラジオ)だそうです。さすがNHK。。。何で絵画の向こう側見ようとしているんでしょう?だって目の前に絵画があるんだったら、まずはその物ではないでしょうか?向こう側に行こうとする人って90%の確率で、はなから諦めているような気がするのですけど。あるいは受験勉強でパズルを解くような英文解釈し過ぎたのでしょうか。単語が分からない生徒に限って単語を覚える努力はせずに不自然な試みをしようとする。「こころをよむ」(そのシリーズのキャッチコピー?)のではなく、ちゃんと造形を見たら?だってそれって小説でなく造形芸術でしょ。目の前にあるのはキャンバスと絵の具ですよね。分からん。。。

多分その見方で絵を見る人たちはピカソの絵とかは確実に理解できないですよね。そんなにも物語読みたいかな?だったら本読めばいいのにね。あるいは大河ドラマとか韓流ドラマか?

...世間は厳しいですよね。多分これを言っているわたしが気違い扱いされる事になるでしょう。なんか文化庁って感じです。個人ダウンロードも全面禁止?(文化庁のおねえさん知っているんですけど、あの~連絡とってはダメでしょうか?)

つうかShudder to Thinkの事何も書かなかった。下手こいた。。。今"Red House"聴いてますぅ。ただし、、、頭の上ではずっと蛍光灯が鳴き続けていますぅ。蛍光灯は鳴くのか?

ただし、、、頭の上ではずっと蛍光灯が鳴き続けていますぅ。

ただし、、、頭の上ではずっと蛍光灯が鳴き続けていますぅ。

ただし、、、頭の上ではずっと蛍光灯が鳴き続けていますぅ。

ただし、、、頭の上ではずっと蛍光灯が鳴き続けていますぅ。

(フェイドアウト)

September 20, 2007

chaos

If you watch from a bridge as a leaf floats down a stream, you may see it trapped by a small whirlpool, circulate a few times, and escape, only to be trapped again further down the stream. Trying to guess what will happen to a leaf as it comes into view from under the bridge is an idle pursuit in more senses than one: the tiniest shift in the leaf's position can completely change its future course. Small changes lead to bigger changes later. This behaviour is the signature of chaos.

葉っぱが小川を流れる様を橋の上から見るとき、その葉っぱは小さな渦に捕まりグルグル回転し、それから抜けてもさらに下流でまた渦に巻き込まれていたりする。たとえば橋の下から葉が視界に入ってくるとき、葉に何が起きているのか想像する事は多くの意味で無駄な追究なのだ。葉のポジションの本当にささいな変化がその未来の方向を完全に変えてしまうからだ。ささいな変化がその後、大きな変化を導く。その振る舞いこそが混沌の特徴なのだ。(またもや、くだらない受験英語問題集より)

これがカオス理論というやつなんでしょうか?入り口はまだ分かりやすいのですが、突っ込むと数式だらけで何の事かさっぱり分かりません。直観としてはこのカオス理論が理解できたからといって未来が理解できる事は無さそうな。。。学自体もその行く先は混沌かな。

つーか所詮人類に残されたのは終末論だけか!つーか単純にわたしが「嘆きの壁」?今を狂わせてしまった、その過去のささいな事が悔やんでも悔やみきれないのよ!だいたい、でも実は何がその悔やむべき事なのかもあまり良く分かってないし、だって大袈裟に悪い事は何もやってないもの。ささいな事は数知れず...ですけど。

なんだか結局わたし事でしょ。わたし自身がカオス真っ只中なんですよ。普通、この歳になればもうちょい先が見えてくるはずなんでしょうが、わたしには全然。。。むしろ若かったときの方がもうちょい見えていた?きっと何か違う世界に迷い込んだ?。。。別な言い方だとカーマ・ポリスに捕まった?。。。カルマの方がカオスより強いしね。。。(強い強くねで判断するのおもしろくね)。。。

ん~今たまたまカルマって言葉を出したんだけでど、これって結構おもしろい論点かも。だってカルマって「業」ですからカオスとは対極ですものね。西洋対東洋でもあるし論理と非論理でもある。

September 13, 2007

テロとの戦い?

日本人の中でどれだけの人が「テロとの戦い」しているのでしょうね?

安倍ちゃん、最後の記者会見までチンプンカンプンでした。日本テレビあたりがたまに「テロとの戦い」なんてまじめにニュース字幕出すんですよ。それを見るとドッと疲れが出る。例えばわたしを含め、わたしの回りでテロと戦っている人...誰もいないのですけど。仮想敵を作って集団の士気高揚って、手段として古過ぎません?だいたい総理大臣(次期総理を含め)がそれを言うと日本は本当にテロの標的になりますよ。だって相手に敵だと認定されたらテロ側だって「上等だコラー」ってなるでしょう。今でも思い出します。あの9.11以前のブッシュの大統領就任演説。「これからはテロとの戦いだ」って明確に宣言しちゃったんですよね。あのとき、「あーこのボンボン恐ろしい事を言っちゃったな」と思いましたよ。世の中に本当に「今この時代はテロとの戦いなんだ」なんて思い込んでいる人がいたら、その人は自分自身の「無知」や「弱さ」と戦った方がいいのではないかと思うのですけど。

皆、何に対して戦っているのか?(わたし、『戦い』は好きでないので、『格闘している』程度でいいかな)日々格闘しているものってだいたい同じだと思うのですけど。アメリカの若者が兵隊になった理由も、イラク人がアメリカを憎む理由も、日本人が間違った向上心を持つ理由もだいたい同じ部分だと思うのですけどね。。。

September 12, 2007

漠然

雰囲気的に漠然と更新です。そう、最近漠然と時間が流れます。人の作品には「あまりにも漠然と描き始めちゃったかな?」「問題意識が足りなかったかな?」「もっと見せ場が欲しかったな」などと平気で批評しつつ、舌の根も乾かぬうちに自分自身でもあまりに漠然と描いてしまいました。。。なんたること。これって人の性?あるいはわたしだけ?物事が制御できない悪い方向に進んでいく、例えば戦争前夜なんて、きっとこんな雰囲気なんですよ。良識も見識もある大人たちが相手の短所はよーく発見できて、ただし自分の短所は全然分からない。で、「とり合えず次の一手は?」で物事が進んでしまう。

ところで中教審の「武道」と「ダンス」って一体何でしょう?それもやはり漠然と決まったかな?入国管理局が絶対に難民を受け入れないのとスタンス的には同じかな?あるいは良識、見識以前で委員たちのIQ調べ直した方がいいのでない?

多分彼らは物事を善悪で見ているのですよ。善悪でものを見るって普通な気もするかもしれませんが、必ず必要な見方ではないですよね。絵は善悪では見ませんものね。彼らは自分の価値観が転覆した事がないのでしょ。世界はこのようである、という無意味な自信があるのです。狭い世界に住んでいる人たちは社会の共通認識が自分たちの行動基準になる。自分たちで作り上げた宗教と同じようなものです。単に認識に合う、合わないではなく、合ったら善、合わなければ悪、そこまで行き着いてしまう。。。でなければ「武道」や「ダンス」とい具体性にはならないと思うけどな。単一民族の共通認識を理想化した具体性でしょ。精神論で肉体鍛えなくとも、輪になって踊らなくともいいんですよ。どうして内容コントロールになるかな?単位制にして選択肢を増やすとか、そんな議論になることは決してないのでしょうね。


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September 5, 2007

違和感

最近、40,50代ターゲットの女性誌の宣伝に山本容子が出演していました。でもどう見ても違和感、感じました。他に一緒に宣伝に登場する女性たちって正直ただのモデルの、ただのおばさんたちですよね(ごめんなさい、わたしとしての正直な感想です)。その中に山本容子が交じるかな。さらにその出演の仕方もなんだか前座っぽいものでした。それはマズイでしょう。山本容子って実は棟方志功並みに日本が世界に誇れる巨匠なのですよ。。。雑誌の編集者がいかに芸術を知らないという事か?あるいはメディアのおごりか?あるいはそれこそが社会一般の画家や芸術家に対するヒエラルキー内での位置づけかな?なんだか寂しくなりました。

世俗と芸術の違いなのですけど、芸術の場合は、のちに必ず歴史的検証がなされます。最終的に愚民政治にならないのが芸術の良いところなのです。例えばアンディ・ウォーホールとロバート・ラウシェンバーグでは知名度でいったら断然ウォーホールでしょうが、やっぱ実はラウシェンバーグだったりするのですね。。。そうです。芸術的な質の高さの違いです。

「流行を作り出し、世論を操作してるのは自分たちだ。安倍政権を潰すのも、朝青龍を辞めさせるのも自分たちのさじ加減でどうにでもなる」最近のマスメディアって、こんな感じでしょうか。ただ、何とかラッセンが芸術でルイヴィトンやロレックスがマジで素晴らしいと思っている程度の価値観ではどうにもならないでしょ。だいたい良く考えれば、マスメディアこそが核心的に世俗なのですよね。多分彼ら自身がそのことを良く知っているんですね。「自分たちは決して歴史に残らない、だからどんなに厚顔無恥に振舞っても平気なんだ」ってなところなのでしょうか?

山本容子美術館
http://www.lucasmuseum.net/menu.html

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