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December 15, 2007

Of Montreal

昨日の晩、ふと西の空を見たら何かが落ちたんです。雰囲気、しけった花火でした。緑色に輝きながら空中で燃えつきました。よく考えたらまだ誰にも言ってなかった。ずっと誰かに言ってやろうと思っていたのに結局誰にも言わなかった。

Hissing Fauna, Are You the Destroyer?

日本で唯一の本格グラム・ブログmars a-prioriが2007年に"Of Montreal"のこと書かなかったらやっぱまずいでしょ。ね、ジャケもこのブログのデザインにマッチしているし。でない?ね、やっぱ2007年のベストでない?彼が"Of Montreal"ならば、わたしは"Of Ontario"だったりします???ちゃんと、あるべき音があるべき場所にあるでしょ。線や点も同じですよ。それら自身が自らの存在を欲するのです。「宇宙はどうして存在したの?」「それ自身が存在を欲したから」と言うしかない!知ってます?何も存在しない真空の世界にもエネルギーの存在は確められている。存在への渇望が宇宙のいたるところで今この瞬間にも、小さくスパークしている。太平洋のど真ん中で撃沈したオッド・ジョンも、深海の底からまだ信号を送り続けています。彼は、大きなくもの巣に引っ掛かった、人間の言葉にならなかった言葉を操りはじめる。

わたしの今一番気に入っているのは9曲目"Faberge Falls for Shuggie"。オーバードライブなローズ・ピアノがなんとも言えません。こんなのあったようななかったような。それを顕著な表出として実現させるのが芸術なのですよ。ポロックのドロッピングもデ・クーニングの「引きちぎる線」も、この世にあり得ないエイリアンの偶然ではないのです。いちばん古典的な人間の本能に語りかける線なのです。突飛で奇怪でキワモノ・アブノーマル・プレイが芸術、というのはもう止めましょう。"Of Montreal"もグラムでサイケなキワモノ?ではないですよね。音を線や点の代わりにして、見事に作りこんでいる造形芸術です(シュールとか、マニエリスム的エピゴーネンではなく『造形』という言葉がピッタリです)。NHKの日曜美術館ではないのだから、絵の裏側を読み取るのは止めましょう。絵は読むものではなく見るもの、音も読むのではなく聴くものなのだから。・・・そうすればきっとオッド・ジョンの信号が聞こえてくる。


http://www.polyvinylrecords.com/hissing/

http://www.youtube.com/watch?v=673u4J6nVfA

December 8, 2007

indifferent

"different"は「異なった」「独特の」という意味ですね。だとすれば、その言葉に"in"という否定の接頭辞が付いた"indifferent"は「異なっていない」すなわち「同じ」となるはずです。しかしそうではありません。その言葉の意味は「無関心な」「冷淡な」「どうでもよい」となります。

多分実際の言葉の成り立ちとしては、二つの物に差異があるかどうかによって起きたのでしょう。

例えば、今眼の前に二つのパンがある。それを二人の人間が食べようととしている。しかし、あきらかにそのパンには量的に差異がある。この場合は二つのパンは"different"「違う」となるわけです。二人の人間はパンの取り合いのため、戦いを始めるかもしれない。一方その二つのパンが量的に差異がない場合は「差異がない」→「どうでもよい」となる。二人は戦いをしない。そして実はこれが"indifferent"肯定派の論拠でもありますね。差異は良くない。当然です。しかしそれを無くすためにどうするかということなのです。わたしが思うに彼ら、論理的に一つ飛び越えてしまっている。これって現代社会を表出する陥穽な気がします。当然誰しも差異は嫌です。平等に物を分け合えば戦争は起こりません。だったら差異を無くすよう努力をすればよい。多分世の中「同じ」、あるいは何かが公平に分配できるなんてことないでしょう。しかし分配の努力は無駄ではないはずです。しかし彼らはそれを飛び越え「どうでもよい」肯定になってしまう。わたしが言及していることわかります?例えば社会主義、資本主義の二大イデオロギーの現状に近いですね。片方が実践として頓挫してしまったために、もう一方に全ての重心が移行してしまう。しかしその一方もはなから充分に完結できる体系ではなかったのです。よってミディオーカーはいつでも一番安易な道を進むことになる。

今挙げたのは人対物の例ですが、人対人の例はもっと面白いです。人間には本能として「群れ」があります。

人間は他者と同じであることを本能的に望むのです。それによって男女は結ばれ家族ができ社会ができる。しかし実際は他者と自分が同じになることはあり得ない。"same"はあり得ない。同一だと望む人間ほど傷つくことになります。よって人は傷つくことを回避するがゆえに"different"のもう一つのアントニム"indifferent"を選択するしかなくなるのです。わたしが思うに自己を確立していない人ほどこの傾向は強くなる。例としてはいまいちですが、イージーライダーが撃たれたのは彼らが麻薬を吸ったからでもお金を盗んだからでもないですよね。彼らは、彼らを撃った南部の青年から見て単に異物だったからです。異物に攻撃をしかけるのは差異に対する脅威から起きるのです。発生においては"indifferent"の冷淡さと同じ場所、すなわちアイデンティティーの薄さです。

世論というのは、戦争責任者、独裁者、巨悪、等々個人としての悪に焦点を当てたがるものです。しかし個人の悪の力など実は微々たるもので、それを支えているのは社会の"indifferent"派だと思えるのです。世論というのがまた曲者でね、ときに"indifferent"派そのものの意志であったりする。エンデの世界で言えば「無」や「灰色の男達」、あるいはどこかで聞いたブルーミーニーズのような観でしょうか?荒唐無稽ではないですよ。かなり強い力です。だからわたしは国民投票制も反対なのです。人間の科学はこれほどまでに進歩したのに、何故新しい、お金や富の分配に関する体系はできないのでしょうか。個人や個性の差異は当たり前に尊重し、物質的な所有の差異はなるべく少ない方向にする。そんなに難しい事でしょうか・・・。

December 5, 2007

1日10曲までの件

まずMarsRadioFree Music Zillaをダウンロードしましょう。MarsRadioはインストールの必要はありません。Free Music Zillaはインストールしてください。

Free Music Zillaの設定をします。Tools>Preferences>MonitoringからCustomにチェックを入れ"Browser..."ボタンからMarsRadio.exeのファイルパス(場所)を指定します。

WS000000.jpg

その後Free Music ZillaをリスタートしMarsRadioも起動してください。曲が始まると下図のようにFree Music Zillaのインターフェイスにファイル名が現れます。あとはチェックを入れDownloadボタンを押すだけです。ファイルの保存場所は事前に設定しておきましょう。ダウンロードされるファイル名は数字の羅列だと思うので何をダウンしたのか忘れないようにその場で曲名、アーチスト名はメモっておきましょう。フリーソフトですが、ダウンロードは1日10ファイルまでの制限があります。

WS000001.JPG

MarsRadioは結構幅広くジャンル分けしてありますから、聴きながら気に入った曲があれば、その場で録音感覚でダウンロードできてしまうということなのですね。MarsRadioはさて置きFree Music Zilla、実に優れものです。本家サイトを見ていただければ分かりますがLastfmだけではなしにimeem, MyspaceRadio.blog.club等々のmp3を流すサイト(Social Music Service)にはほとんど対応しています(手に入りにくいインディー系のアーチスト達は必ずMyspaceで曲を流していますものね)。さらに実は、YouTube等のflvファイルもダウンロードできたりもするのです。

・・・ただし、ダウンロードはあくまで自己責任です。

December 4, 2007

a long December

Go to AmazonCounting Crows/ Recovering the Satellites

最近「めぐる季節・・・」という言葉を使う邦楽の歌詞が耳に付きます。具体的に誰の?とたずねられてもまったく答えられません。わたし、邦楽ほとんど聴きませんから。聴かないのにもかかわらず耳にするってことは結構使われているはずですよ。もちろんオリジナルというか、一番有名なのは知っています。松山千春の「季節の中で」ですよね。わたしでも知ってます。その曲、そうとうインパクトありましたもの。わたしが思うに、彼の曲を知っていたなら自分の曲に「めぐる季節」なんて使わないと思うのですが。何故なら、そんな言葉使ったら「食われて」しまうもの。ということは、最近よく耳にする「めぐる季節・・・」、多分彼の曲を知らない世代が作っているんじゃないかな。(ここで使っている『めぐる季節』という言葉は最近の邦楽の歌詞内容を表出する単なる一例なわけですよ)

で、さらに松山千春知らないだけじゃなく「めぐる季節」という言葉の重み自体、まったく知らない人達がその言葉を使っているような気がしてならないのですけど・・・。どうしてこの"A Long December"という曲でこんな事言っているのか分かる人には分かってもらえますよね。

A long December and there's reason to believe
Maybe this year will be better than the last
I can't remember the last thing that you said as you were leavin'
Now the days go by so fast

And it's one more day up in the canyon
And it's one more night in Hollywood
It's been so long since I've seen the ocean... I guess I should

人生って実はしょぼいですよね。綺麗事でとっちゃん坊やにコンクルージョン歌われてもね。市役所で自分よりどう見ても15は年下の公務員に「ちゃんと市民税納めてくださいね」って言われているような、そんな気持ちにしかなりません。学食「風月」のナスの肉詰めは、肉とは名ばかりで半分以上は小麦粉だった。上にかかっていたミートソースも、何やら赤い液体にとろみが付いているだけでどう考えてもミートソースではなかった(今極端に、分かる人しか分かっていませんね)。でもそれでも肉を食べているという満足感はあった。思い出してください。子供の頃、マルシンハンバーグが弁当に入っているということはこの上もない贅沢だったはずです。さらには、世の中には希望的観測や「信じる、信じない」ではどうにもならない事柄、実は山ほどあったりもします。

単にジェネレーション・ギャップで攻めてしまいしたが、それだけでもないですね。自分が経験していようがいまいが一般論として曲を作ってしまう。最近の邦楽の詞内容、水墨画に近いものがあります。自分の眼で見た風景ではなく世間一般の共通概念を、山水という共通形式で描くわけです。主語がガンガンに省略される。あるいはそれでさえも実は、その時点での作者のギリギリの心理状態の告白なのかもしれない。でも、だったらどうしてそんなに薄く聴こえてしまうのでしょう(わたしだけ?)。「苦しい、悲しい」とか「信じる、信じない」とか直接的に心理状態をあらわす言葉ほど実はピンと来ない。作者が基盤を置くリアリティー自体が薄いから?としか言いようがありません。

と、一応書きました、が世間ではわたしのほうが実は異物なのですよね。その手の歌詞は日本では充分に心地良く、皆に受け入れられているのです。・・・いいです。わたしが異物ということでOKです。

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